【シュレディンガーの猫】量子力学の奇天烈さをズバリ指摘するシンプルな思考実験

シュレディンガーの猫とは?

物理学者シュレディンガーが、量子力学におけるコペンハーゲン解釈を批判するために考えた思考実験(想像上の実験)です。

量子力学というのは、原子とか分子とか、目には見えないめちゃくちゃ小さな粒子の物理現象を研究している学問のこと。

量子のふるまいには不思議なことが多く、これを説明するために「コペンハーゲン解釈」という新しい考え方が出てきたものの、それは私たちが直観的に理解できる物理法則の常識からするとなかなか受け入れられないような奇想天外な解釈でした。

シュレディンガー(1887-1961)は日常にも身近な猫を実験に登場させることで、コペンハーゲン解釈がいかに現実的におかしな説明になっているのかを指摘したんですね。

ざっくりと理解する

シュレディンガーが思考実験を用いて批判したコペンハーゲン解釈とは、同じく物理学者のハイゼンベルク(1901-1976)らによって提唱された、量子のふるまいを説明するための解釈です。

量子力学の研究において、原子・分子・光子といった極小サイズの世界(=ミクロな世界)では常識ではなかなか説明できないような現象(後述)が確認されていました。

そこでコペンハーゲン解釈では、次のような発想の導入によって説明を試みています。

コペンハーゲン解釈

  • 観測前の量子は特定の位置や状態をもたず、確率的な広がりをもつ。
  • 観測によって確率の広がりが収束し、特定の位置や状態が決まる。

簡潔に言えば、
「量子は誰かに見られる前は波のような存在だが、見られた瞬間に粒子に変身する」
という、なんとも直観に反した主張です。

コペンハーゲン解釈の説明

ミクロな世界では複数の状態が重なり合っている。
量子は観測されない限り一定範囲のどこにも同時に存在しているし、どの状態でも同時に存在している。
観測してしまえばあとは私たちが知る通り。

これに疑問を突きつけたのが、シュレディンガーの猫です。

シュレディンガーは、「観測による確率の収束」のような奇想天外な現象がミクロな世界にだけ特別に現れるのだという説明に対して懐疑的でした。

そこでこんな思考実験を考案します。

シュレディンガーの猫

  • 中の見えない箱に次の3つを入れ、閉じ込めたまま放置する。
    ・放射性原子
    ・放射線を検知して毒ガスを発生させる装置
    ・猫
  • 原子が1時間以内に放射性崩壊を起こす確率を50%とする。
    崩壊が起きると装置から毒ガスが発生し、猫は死んでしまう。

→ 1時間後、閉じられた箱の中で猫は死んでいるだろうか?生きているだろうか?

シュレディンガーの猫の実験説明

普通に考えれば、1時間後の猫は「死んでいる」または「生きている」のどちらかです。
箱を開けなければ確かめようがないにしても、私たちが箱を開けようが開けまいが、中では現実にどちらかが決まっているはずですね。

しかしもしコペンハーゲン解釈が正しいとすれば、そのどちらでもないことになります。

  • 放射性原子はミクロの世界にあるので、観測する前は放射性崩壊が生じた状態と生じていない状態とが重なり合って同時に存在する
  • ということは、毒ガス発生装置も連動して、起動した状態と起動していない状態とが重なり合って同時に存在することになる
  • ということは、猫の生死も連動して、生きている状態と死んでいる状態とが重なり合って同時に存在することになる

といったように、あまりにも奇妙な結論が導かれてしまうのです。

「謎多き量子のミクロな世界では複数の状態の重ね合わせが起きていて、私たちが日常的に見ているマクロな世界にはそれがない」というのは明らかにおかしい。

シュレディンガーはこの思考実験をもとに、

  • 「ミクロな世界だけで起こる特殊な現象」など成立しないこと
  • コペンハーゲン解釈による量子の理解は不完全であること

を主張したわけです。

あわせて知りたい周辺知識

二重スリット実験と量子

そもそも発端となったコペンハーゲン解釈は、どのようにして出てきたのでしょう。

もちろん何の根拠もないトンデモ仮説というわけではなく、量子に関する数々の実験結果に基づいて論理的に導かれた理論なのです。

つまり量子のふるまいは、信じられない解釈を持ち出さなくては説明できないほど、信じられないものでした。

それをわかりやすく示す例として、二重スリット実験と呼ばれる有名な実験があります。

二重スリット実験

  • 光の最小単位である「光子」を1つだけ、スクリーンに向かって射出する。
  • スクリーンまでの間には仕切板があり、仕切板には2本のスリットが開いている。
  • 光子がスクリーンにぶつかると、スクリーンにその跡が残る。

→ これを何度も繰り返すと、スクリーンにはどのような模様が浮かび上がるだろうか?

二重スリット実験の配置イメージ

光子もいわゆる「量子」のひとつで、ミクロな存在です。

上記の実験結果を考える前に、まずは前提知識として、量子以外のモノを二重スリットに向けて飛ばした場合にどうなるかを見てみましょう。

1. 波を飛ばす場合

二重スリットに波(水・音など)を飛ばした場合、スクリーンにはシマ模様が現れます。

これは、波の伝達に回折(かいせつ)という性質があるからです。
スリットを通った波は、それぞれのスリットを新たな起点として、そこから回り込むようにして全方位に波を広げていきます。

2つのスリットから生まれた2つの波がそれぞれ干渉することで、

  • 波長がかみあった箇所は増幅する
  • 波長がかみあわなかった箇所は打ち消し合う

という現象が起きるため、規則正しいシマシマができるわけです。

二重スリット実験で波を飛ばしたときのイメージ

2. 粒を飛ばす場合

続いて、目に見える粒(ビー玉・パチンコ玉など)を飛ばすとどうなるか。

こちらは想像しやすいですね。
ボールは2つのスリットのうちどちらか1つを通り抜けて、スクリーンにはポツッと1点の跡がつきます。

これを何度も繰り返すと、多少の誤差はあれど、概ね発射位置とスリットとの直線上にある2つのエリアに模様が現れるはずです。

二重スリット実験で粒子を飛ばしたときのイメージ

量子は波でもあるし粒でもある?

さて、それでは本題に戻って、光子を二重スリットに向けて1つずつ飛ばしていくとどうなるのでしょうか。

光子を1つ飛ばすと、スクリーンにはポツッと1点の跡がつきます。
これは納得ですね、ビー玉を飛ばしているのと同じです。

不思議なのはここからです。

光子を1つずつ何度も飛ばしていくと、スクリーンにはだんだんとシマ模様が浮かび上がってくるのです。

二重スリット実験で光子を1つずつ何度も飛ばしていったときのイメージ

光子が単純な粒だとすると、これは明らかにおかしな現象です。

1度に射出する光子は1つだけ。
普通に考えれば、2つのスリットのうちどちらか片方を通ってスクリーンに直行しているはずです。

しかしシマ模様ができるということは、波がそうであるように、2つのスリットからでた光子同士が互いに干渉していなければ説明が付きません。

じゃあ1粒の光子は、まさか形をもたない波のように2つのスリットを同時に通り抜け、自分自身と干渉しながらスクリーンに向かっているのでしょうか?

観測が結果を左右する

だったらそれを確かめようということで、2つのスリットにそれぞれセンサーを設置して同様の実験を行ってみます。
光子がどちらか(または両方)のスリットを通過したら、センサーがそれを感知して教えてくれる仕組みです。

さて、もっと不思議なのがここからです。

センサーによると、光子は紛れもなく2つのスリットのうちどちらか片方だけを通過していることが分かりました。
ちゃんと形ある粒だったということですが、そうするとやはりシマ模様の説明がつきませんね。

不思議に思いながらもそのまま実験を続けていくと、なんと今度は、スクリーンにはシマ模様ではなく2本線の模様が浮かび上がるのです。

二重スリット実験で光子を1つずつ観測しながら何度も飛ばしていったときのイメージ

これだけ見れば、単にビー玉を飛ばしたのと同じ。

しかし気味が悪いのは、光子の経路をセンサーで観測した途端に、その後スクリーンに現れる模様が変わってしまったことです。

センサーを外して光子の経路を観測できないようにすれば、再びスクリーンにはシマ模様が浮かび上がります。
ところが少しでも光子の動きを覗き見ようとすると、たちまちシマ模様は現れなくなってしまいます。

まるで光子が意思を持って、見られているときにだけそのふるまいを変えているかのようですね。

そしてコペンハーゲン解釈とシュレディンガーの猫へ

二重スリット実験の結果が示された以上、
① 観測されていない光子は波のようにふるまい、2つのスリットを同時に通過する
② 観測された光子は粒のようにふるまい、2つのスリットのどちらか1つを通過する

という両方を認めるしかありません。

もし①が間違っていればセンサーなし実験でのシマ模様の説明がつかないし、②が間違っていればセンサーあり実験での2本線模様の説明がつきません。

「観測」という行為が量子のふるまいを変える。

この不思議な現象は、光子だけではなく、電子・陽子・中性子・原子・分子…といった具合に、量子全般に見られることが分かりました。

そういうわけで提唱されたのが、例のコペンハーゲン解釈というわけです。

コペンハーゲン解釈

  • 観測前の量子は特定の位置や状態をもたず、確率的な広がりをもつ。
  • 観測によって確率の広がりが収束し、特定の位置や状態が決まる。

シュレディンガーは猫の思考実験の用いて、
「そんなの明らかにおかしいでしょ!」
と言ったわけですが、
「じゃあ二重スリット実験をどう説明するの?」
と聞かれると、やっぱり困ってしまいます。

事実その後も、量子の重ね合わせを支持する証拠は次々と示されており、現代の量子力学においては少なくとも「観測される前の量子は確率的にしか存在しない(=特定の状態などない)」ことはまず受け入れるべき前提となっています。

とはいえその先の疑問は尽きません。

  • じゃあ確率の収束って何なんだろう?
  • そもそも「観測」ってどういうことだろう?
  • ミクロとマクロの境目はどこにあるんだろう?
  • 結局シュレディンガーの猫をどう解決すべきだろう?

このあたりは量子力学が抱える謎であり、色んな考え方が提唱されています。

量子をめぐる色んな解釈

コペンハーゲン解釈はその名の通り、量子のふるまいを説明するための一つの解釈(考え方)にすぎません。

他に量子をめぐる有名な解釈として、例えばこんなものがあります。

  • 意識解釈(ノイマンなど)
    → 量子の状態を確定させるもの(=観測)はすなわち、人間の主観的な知覚・意識・心である
  • パイロット解釈(ボームなど)
    → 量子が実際に運動する経路はただ一つだけであり、観測できない未知の波(=パイロット波)がその経路を決定している
  • 多世界解釈(エヴェレットなど)
    → 観測者や世界自体も重ね合わせの中にあり、世界は無数のパラレルワールドに分化している

色々と解釈はあるものの、どれが正しいのか、あるいは間違っているかを実験で証明することはできません。

というのも、量子力学の解釈というのは「観測していない」世界を考えるものだからです。
科学で言う実験とは「観測する」ことにほかならないわけで、原理的に証明できないからこそ、あくまで「理論」ではなく「解釈」なのですね。

シュレディンガーの猫の思考実験も同様に、「観測していない」猫の生死を考える問題です。

死んだ猫と生きている猫が重なり合った状態など日常の感覚ではどう考えてもおかしいのですが、観測していない(する術がない)私たちにはやはり、その存在を否定することはできないのです。